知恵や知識という蓋をとってみると

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ごく普通の おじさん である私は、あと少しで50歳になります。
  
小さな子供の頃の自分からみたら、とっても大人のおじさんだと思っていた年齢を、かなり超えているような気がします(笑)
  
言葉を覚えて、文字を覚えて、幼稚園から義務教育、その後もひたすら学びました。
もちろん、大人になっても、必要とされることや、興味のあることに対して、学びを続けてきています。
 
ほとんどの人は、私と同じように、今でも、何かを学び続けているのではないでしょうか?

 
今必要な知識が足りなければ、さらに追加をすることでしょう。
 
また、もっと深く掘り下げたり、全く新し<いことなどを含め、常に何かを学んでいると思います。     そうして、日々の学びで手に入れた知恵や知識を使って、生きて行くための役に立てていると思います。   これらの知恵や知識が、常識的な行動を含め、人生の役に立つことがとても多いので、知恵や知識があればあるほど、その知恵や知識に頼っていきます。   ごく普通に、知識や知恵に頼る。   普通すぎて、おかしいとも思えません。   逆に、知識や知恵が全くなくて、どうやって判断するのだろうと思うことの方が、普通になっていると思います。   椅子1
 
 
ところが、この知識や知恵が、邪魔をすることもあるのです。
 
それは、よくある言葉でいえば、色眼鏡で見るというように、知識や知恵により固められた、フィルターを通して、物事を判断することに他なりません。
 
学歴社会というのも一種のフィルターでしょう。
就職活動で、学生を選ぶ側の人にとっては、どこそこの大学の どこそこの学部を卒業見込みならば、この程度の見識はあり、こんなキャラクターでいてくれるはずだ、そんな物の見方がしやすいからこそ、このフィルターが尊ばれることに繋がっているんだと思います。
 
大きなラベルで判断しておくことで、大きな間違いを減らすことができるでしょう。
これは、能力の判断を ぐっと楽にしたいからなのかもしれません。
 
数多の数の面接者から、膨大な希望者を、一定期間において判断するのには、必要なことと思えますので、そうした判断は一概に悪いものではないと思いますが、個人の能力を余すことなく精査せずにいるというのは、選ばれる側としては、合否とは別に、個人の能力で、しっかり判断してもらいたいなとの気持ちは、ずっと残るでしょうね。
 
さて、フィルターの話に戻りますと、知恵や知識があることで、楽になることは自然と知っています。 
膨大な希望者からふるい落とすにも使えるし、もし、振るい落しがなければ、決めかねているうちに、優秀な人材はどこかに行かれてしまうことにもなるでしょう。
 
人間は、水が高いところから低いところに流れていくように、常に楽な方を選択しやすく作られています。
 
例えば、2メートルほどの高低差のある、高い位置と、低い位置に、それぞれ小さなプールがあり、そこにバケツとホースがあれば、バケツで何回も繰り返して水を移動するよりも、ホースと高低差を使って、自然と流れるようにすることでしょう。
知恵と知識を使うことで、効率が上がります。
 
そこまで大きな差がなく、紙を一枚動かすような小さな動きであっても、少しでも楽なことを自然と選びます。
知恵や知識があるから、それが当然と思っているから、ごく普通にそれを選んでいます。
 
生活に密接して、何度も知恵や知識で救われているからこそ、何も考えないでいると、知恵や知識を使うのが普通なんですね。
 
なんども使えば上達します。
使えば使うほどに上達します。
 
上達していけばいくほど、それ以外の選択をし難くなってきます。
 
 
つまり、日々の生活において、知恵や知識を使わないことがないことはあまりないということになります。
 
無意識に上手に使えるようになっている状態で、それらの知恵や知識というフィルターを外したらどうなるでしょう。
 
面倒なことが起こるのがわかり、外すのが嫌という嫌悪感が起こるでしょう。
すると、外したくないという、思いが無意識に起こり、外して見ることが困難になります。
 
ところで、第六感というのはどこから来るのでしょうか?
知恵や知識として、どこかで手に入れられるものなのでしょうか? 
 
学校で学べるものでしょうか?
特別な専門学校や、どこかの講師に教われるものでしょうか?
 
これまでのものとはちょっと違いますよね。
 
そんなものがあるのかな?と思っていても、
例えば、電話が来る気がすると思っていたら、電話が鳴ったり。
メールが来そうな気配がすると思っていたら、来たりしたことはありませんか?
なんか今日は朝から、嫌な感じがすると思っていたら、何かがあったり。
 
逆に、よくわからないけど、ワクワクしていたら、素敵なことが起こったりということは、いかがでしたか?

もし、そんなことがなかったとしても、家や会社で扉を開けた瞬間に
その場の雰囲気を、掴んでしまうことはありませんでしたか?
 
職場の上司や同僚が不機嫌で、重く渋い空気になっていたり。
ご自宅で、家族が不機嫌なのがなんとなくわかったりしたことはありませんか?
 
こうした雰囲気を掴むことがあったとしたら、普通の五感よりも少し広い部分の感覚が働いていることの表れだと思います。
 
肌で感じるようなこれらのこと。
これらに対応する知恵や知識や、経験により積み増されていると思うので、どうにかすることもできると思います。

ただ、どうしてそうなったかが、わかればより、正確な判断と対応ができるようになりますよね。
 
そうした場合、知恵や知識や経験で手にした全てを捨ててみてください。
あらゆる知恵や知識というフィルターを手放すと、そのものの本来の状態が初めて感じやすくなります。
 
フィルターは、知恵です。
ここによく熟れたリンゴがあったとします。
表面の赤い色は、赤に造詣の深い職業や、色が好きな方であれば、数百種類ある赤から、近似色を見つけ出すことでしょう。
この赤色とほぼ一緒。  
もしくは、この赤色と、こちらの赤色のグラデーションで こちらの赤に近い部分が一番近い。そんな判断を下すことと思います。 
その知識を共有するもの同士であれば、その情報でかなり近い赤を知ることができるでしょう。
これが知恵や知識の良いところですが、本物の赤を肌で知るのとはちょっと違います。 そのものの赤色を味わっているのではなく、知恵や知識という知見によって、ほぼ似ているではなく、近似しているを知ったという結果に過ぎません。
 
大切なのは、そのものを、肌で知る事。
知見をもとに判断ではなく、そのものを知ること。

これが一番難しいのですが、これを意識してできるようになると、手にする情報の量が格段と上がり、より正しいものを手にすることができるようになります。
 
しっかりと、正確な情報が手に入ったら、知恵や知識がある方なら、より正確な判断をすることができるでしょう。
 
正直、こうした形で、情報を読みとるのは大変です。
就職したい方の本当の能力を、正確に知るのと同じように、情報を知りたいという人が、全てのフィルターを手放して、そのものとしっかり対峙しないとならないからです。
 
時には失敗することもあるでしょう。
時には勘違いすることもあるでしょう。
 
でも、それは、何度も繰り返してしていないからです。
知識や知恵というフィルターを無意識に使っているくらい上手になったものと比べたら、まだヨチヨチ歩きの状態だから当然です。
 
もし、あなたが、何かに不安であったり。
正確に情報を手にするのが、難しくて、どうしたらいいのかと困っていたら。
どうか、このことを思い出してみてくだささい。
 
全ての知恵や知識、経験を手放した時に、ものが正確に把握できることに気がつくでしょう。

また、繰り返していると、人間が本来持っている、本当の能力が発芽するように現れてくるのに気が付けることでしょう。
 
実はここで、書いた、全てをそのままに ただ 見ること。
これが、見る ということのコツです。

あまりにシンプルすぎますが、シンプルが故に、このやり方を正確に使うのが難しいのが難点です。
 
 
奥義とも言えるこのコツ。 

両方の特性をよく知って、日々の生活で意識的にバランスよく使うことができたら、とっても便利ですよ。
 

 

追伸:

口伝で 1日かかりでしっかり伝えて、その日にできるようになる、ヒーリングの実技の講座。 
本日現在まだ、メニュー化していませんが、昨日ご利用をいただきました。
エネルギーラインのチューニングとともに、この記事にあることを、腑に落とすと、しっかり使えるようになりますので、記事を読んで、なるほど、そうかと頭で思うだけではなく、ぜひ何度か試してみてください。