私はもっと自分になりたい そういったら笑われた。 けれど、本当の意味は・・・・・・

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「私はもっと自分になりたい」
 
「え、何言ってんの?  自分って自分のことでしょう? おかしいよ、それ(笑) すでに自分だし(笑)」
 
きっと、ほとんどの人はそう思うでしょうね。
  

それでも、きっと、心のどこかでは、あ、そうかもしれないな、と、小さく思っている筈です。
 
  
 
 
もっと自分になりたい。

それは、

純粋な自分のこと。
生粋な自分のこと。
  
 
果たして今、本当にそういう状態にあるのでしょうか?
 
  
 
精神的な疲れが酷く溜まっていたり
肉体的な疲労が蓄積していたり。
 
日々の生活の癖などで、体を歪めていたりしませんか?
それから、今持っている思考が、実は誰かの借り物ということはありませんか?
  
 
 
純粋な自分。
  
生粋な自分。
 
勘違いなく、本当にそうだと言い切れますか?
 
 
今ある、科学的に常識とされている知識だって、実はこうだったんですと、新しいものがある日突然出てきて、それまでとは異なるものが、正しいとされることがあるように、見識や知識は、事実そのものを正しく映し出していないことも往々にしてあり得るのです。

ただ、そのときに、これが正しいと思っているだけで、本当とは離れていたとわかることもあるのです。
  
 
そうしたことを含んで、もう一度自分を見てみたら、一体どう見えるのでしょうか。
 
自分のことを、第三者的に眺めてみたときにも見え方は同じでしょうか。
 
純粋であり、生粋である。そう言い切れるでしょうか。
 
 
私の場合は、残念ながら、こうであるだろうという思い込みや、小さな頃の経験による刷り込みが、邪魔をしていました。
 
肉体的には、交通事故を受けた時の負荷がまだ残っていますし、日々の生活の癖が作った歪みもまだあります。
 
 
でも、それらが、もし、ほとんど消えて無くなったら、どんなに楽で気持ちいいんだろうかと想像するのです。
 
そうして、一歩でも二歩でも、そこに近づくと、本当の自分になれると信じています。
   
 
 
純粋な自分の目線でみたときの世界。
 
体の負担がほぼなくなったときの、朝の目覚め。
 
透明感がある世界が、そこにある気がしています。
 
 
実際に、思い込みが一つ消えたり、妙な刷り込みが一つ消えていくと、世界が明るくなります。
同じことを経験しても、捉え方がかわるので、世界がそれまでより広くなりました。 
  
 
体の負担も、取れるに従い、爽やかな朝を迎えられます。
 
日々の生活の癖も、改善する方法を編み出すことで、新たな負担を抑えることができます。
  
  
 
全ては、自分になるため。
 
本当の自分になるため。
 
私は、いつもそう思って動いています。
 
 
もし、そうありたいなと思ったら、まず、どこからが自分であり、どこからが後で手に入れたものかを見ていくと面白いと思います。
 
自分の特性を知ることにも繋がりますし、特性がわかれば、それを伸ばすこともできます。
 
自分の持っている負荷を減らすと、世界が明るく感じられるようになり。
もっともっと気持ちよく生きていくことができるようになります。
  
 
 
ヘッドケアやボディケア
 
それらのメニューはそうした世界へ向かうために用意したものです。
 
自分に気がつく旅は、いつでも始められます。
 
 
 
「私はもっと自分になりたい」
 

何があっても一番大切にしたい気持ち、
 
その気持ちが作り出してくれました。