施術にかける思い 時間軸から体軸へ

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DNAが少しずつ違うように、体も、不調の原因も同じものは、なかなかない。
そこに至るまでの経緯も、蓄積時間もみんな違う。
 
だから、回復の手順も、同じことを同じだけすれば、それで良いというわけではないのは、なんとなく想像が付くだろう。
既に、施術の内容は、受け手の現在に特化した、独自のものを提供している。
 
だから、不調の改善がどんどん進む。
 
ときには、誰もが難しいというものも、穏やかになっていく。
 
 

ここまでは既に出来ている。
 
 
ところで施術の時間はどうだろうか? と考えたとき、一般的な施術と時間のあり方は、時間が優先されていることがとても多い。
 
だから、どんな施術を受けていても、時間がくると綺麗に終えることだろう。
選ぶ側も時間が基準だと、とてもわかりやすいし、会社や組織を運営する側も便利だろう。
  
 
ここでも、時間で区分していた。
  
 
でもそれは、体から、細胞から、その仕組みをみたときに、それが最善と言えるのだろうか?
 
これは、長いこと、どうにかしたいと、ずっとずっと考えていたポイントだった。
 
 
例えばあなたが、どこかで施術を受けていて、触れられた時に 「ああ、そこです、そこー。 いい感じだ。 あと少しで落ち着きそう。」と思っていても、タイマーが ピピピと鳴ったり、時計を見て、お時間になりました、と声をかけられたりしたことはないだろうか?
 
終了の時間がきたら、帰り支度をするしかなくなる。
 
 
あとほんの少し、追い込んだ方がその後の快調に大きな貢献をするのが、過去の経験からわかっていても、時間がきたらそこで終わり。
 
 
施術を受ける側としては、どうだろう。 
 
 
少々残念な気持ちを持ったことがあるのではないだろうか。 
 
  
もしそこで、施術をする側も同じような気持ちでいるとしたら、あなたはどう思うだろう。
 
 
そのとき、一体誰が幸せになっているのだろうか。
施術を受ける人? 施術をする人? それとも会社や組織などの運営者?
 
 
もちろん、それが普通だと信じて止まず、続きは次回に実行するので当然と、双方で納得できているのであれば、私が掲げる問題はどこにもないのだろう。
 
しかし、体からみたら本当はどうだろうか?
それが最善なのだろうか?

  
 

 
 
 
少なくとも、私は、そう思った。
 
そう、人生は有限。
時間には限りがあるのだ。
 
あとほんの少し状況改善を続けることで、その後の人生がもっと楽になるのに(受ける側も、施術する側もなんとなくそれを感じているのに)そういう仕組みなら仕方がないと、お互いに、そんな風に諦めているのだとしたら、少々もったいなく感じるのは私だけだろうか?
 
 
有限の時間を最大に活用してもらうことこそが、理想であり、体にとっても最善だと、私には感じられた。
 
 
では、一体どうしたらいいのだろう?
ずっとそう思っていた。
  
 
もし、そうしたら、変ではないか?
おかしいと思われるのではないか?
 
あれこれ、ずっと考えていた。
  
  
長いこと悩み、そして、出した結論は、至極シンプルなものであった。
  
 
基軸を時間から外して、細胞の快活さとして提供をしよう。
 

そう考えた。
 
 
世間がどうかではなく、私がどうしたいか。
そしてそれが最善であると感じ、体もそう思っているのを感じ取れているのであれば、それが最善である。
 
そう思えた。
 
 
 
今までも、なんとなく、その傾向はあったにしても、明確に伝えるところまでは、その内容を昇華できていなかったけれど、本日以降はこれを中心として実施して参ります。
  
 
午前:1名様
午後:1名様
 
この大きな時間枠の変更は難しいので残していきますが、時間枠の範囲内で、あと少しの状況改善を実施していくことを標準とします。
 
それは5分かもしれないし、20分にもなるかもしれません。
 
あと少しの状況改善をすることで、その後の回復度合いがとても良好になる場合、これを確実に実施いたします。
メニューの改変はまだ追いついていませんが、体がここでいいよと、納得するポイントまで、あと少しの状況改善を確実に実施いたします。
  
 
一つ前の記事と、一部が連動していますが、根っこはどれも同じです。
体にとって、細胞にとっての最善を、常に提供をしていくこと。

とてもとてもシンプルなことを、実直に実施していきます。

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