何もできないから、これからは出来るに

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父親が急に手術をした。
半日以上かかる手術だった。

入院したとの連絡を上手く受けることができず、見舞いに行けたのは手術の翌日だった。

会いにいった時には、口には浅くなった呼吸を助けるために、小さ目の酸素マスクがつけられていて、体には点滴やらドレーンやら、本当に何本ものチューブが繋がっていた。
それを見ただけでも痛くなり、かなり大変だったことがわかる。

父親がとても若いときの大きな手術を入れたら、私が知っているだけでも、これで2回目だ。

身内贔屓をするのは気持ちよくはないが、父親は、青年から中年にかけては、ちょっと前の言葉でいう細マッチョだった。

今でもそのときの面影は僅かに残っているものの、長期間、食が細くなっていた影響で、ここ最近は痩せていたが、ベッドの中の存在は更に小さく感じられた。

今回は、消化器系の病気の手術だったので、術後は当然水が飲めない。
水分補給のために、生理的食塩水を点滴で入れているとはいえ、喉は渇き、とてもつらそうだった。
あまりの辛さに、私がいた数時間の間に、呼吸を助けるために、もわもわと、かなり細かなミストを吐き出す小さな機械に繋がっている青いホースを使ってもらい、青いホースをマスクの間に入れると、ほんのすこしは楽になったようだった。

健康な時には、無意識にできることが、弱ってしまうとできなくなる。
普段の私達なら痰が絡んでも、お腹にちょとだけ力を入れて、んんっ と空気を細く吐き出せば、痰はすぐに上がってくるので、あとは、ペッと吐き出すことができるだろう。

しかし父親曰く、お腹を切っているから、痛みで力が入らなくて無理。
寝ているときには全く出せなくて大変だという。

今は、まだ寝返りなどもできず、ただ横たわっているだけ。

時の経過とともに、痰がでて絡んでくる。
痰が増えてくると窒息しそうになるが、助ける方法は一つだけ。

そう、痰の吸引だ。

吸引は口経由だと、看護士さん曰く、喉の上の方に上がって来ている痰しか吸い取れないとのこと。
あまりに酷い場合、やはり鼻からチューブを入れて吸うそうだ。

父はこれが嫌いだった。
それは鼻の穴から差し込んだチューブを抜くときに、鼻の中の通り道を、チューブの先端が触れるからなのか、擦り傷がついてしまい、血が滲んできて、しばらくすると喉に落ちてくる、じくじく痛いし、血の味が嫌で辛いそうだ。

私はまだ経験がないが、痰を吸われている間、呼吸もできず、苦しいのに苦しさが増して辛いらしい。

寝ていても辛く、新たな痰で次第に呼吸がしにくくなる。
自力で吐くことも困難。

何もしないで、呼吸をするだけ。

たったそれだけのことなのに、聞けば聞くほど辛そうだった。

また、辛いことは他にもある。

私がいた時には、誰も来なかったのだが、時折訪れてくれる、お見舞い。
そのお見舞いに来てくださった方に対して、まだ、うまく喋ることもできないので、意思の疎通が困難で、申し訳なく思ったそうだ。
ちゃんと応えたい、そういう気持ちはあるけれど、呼吸が困難なので、声を出すこと自体が、残った力をかなりつかい、振り絞るように頑張る必要があるので、たったの一言であっても、とても辛かったとのこと。

こうした言葉を聞くと、あまりに早く伺うのは、やはり避けたほうがいいんだなと、改めて思った。

お見舞いに行くと、寝ていたり、重度の状態でなければ、顔をみて、声をかけることは勿論するだろう。
その時に、その人が大好きなものを届けることもあると思う。

普通はこれくらいしかできないし、他に何ができるのか、こんなことをしているよということが、あったら教えてもらいたい。

お見舞いに来てくれたらきっと嬉しいし、直接会うことで、お互いに安心できるし、なによりもお互いに元気ももらえるだろう。

でも、本当に大切に思っている人に、もっと何かできたらいいなと、あなたは思ったことはないだろうか?
そういう経験は過去に一度もないだろうか?

もしくは、想像をしたことはないだろうか?

元気になる食材や、美味しいオヤツなどの差し入れが有効ならば、いいのかもしれない。

ただ、消化器系の病気の場合や、栄養を管理されている病気の方にとっては、それらをいただいても食べることができない。
後から来る、お見舞いに訪れてくださった方々への振る舞いの品にはなるだろうが、本人の回復や改善には、直接繋がらない。

それでも、大好きな品があるのは嬉しいだろう。
何より、自分のことを思ってくれた気持ちが嬉しいからだ。

ここで、すこし考えてみる。

両親
妻(夫)
妻(夫)の両親
自分の子供

とても仲の良い親友
人生の事を教えてくれた先輩や恩師

親戚のおじさん、おばさん
おじいちゃん、おばあちゃん

もっともっといるだろう。
きっと、あなたの人生には、とても沢山の方が関わってくれている筈だ。

みんなが健康で、一切何もないのが一番。
しかし、もし入院するようなことが起きたときに、もっと何かできたらいいなと思うことも、長い人生のなかでは、正直何回かはあることだろう。

もし、そんなときに、何か良いことができて、回復の役に立つならば、使ってもみたくなるだろう。

そんな、魔法のようなことがあれば、きっと、許される限り沢山使うだろう。

人として、それは当然の思いだろう。

ただ、医師の診察と診療においては、邪魔をしてはならない。
また、なによりも、妙な形で、体に負荷を与えてはならない。
あるべき姿に戻るには、それ相応の対処と、時間が必要だろうし、何よりも本人の回復力を大切にしなkればならないから。

自然な回復力を邪魔をしてはならないが、邪魔にならない形であればよい。

そう、太陽の光のように、陽射しにあたることで快適になるようにであればいい。

口伝

私は、エネルギーワーカーとして、それが出来る。

だから、今回、体が痛くて、少しでも触れるのを嫌がるほどに弱くなっていた状態の父親に向けて、それを行った。
掛け布団に触れられることすら辛そうな父親に対して、触れずにエネルギーを淡々と送り続けた。

治そうとするのではなく、残存機能が最大になるように。
大変な治療を受けて、疲れた細胞達をいたわり、元気になるように。

2時間ほど、そうしてエネルギーを送り続けた。

次第に容態が柔らかな雰囲気を出してきたところで、弟と母親が見舞いに来て、ベッドを見るなり、昨日よりも、顔色がぐっと良くなっていると、心底ほっとした顔で、そう言った。

本当は誰もが、こうしたことが出来る下地がある。
私もそうしたことが、したい、してみたいと思うと、過去の経験やそんなことはないという思い込みによる強力な蓋が緩み始めるのだ。

あなたの周りにもいるだろう、ただ会うだけで元気になるような人は、エネルギーワークのことなんか全く知らなくても、そうした蓋でぎゅっと閉じられていないからそうなのだ。

洗面所や台所に行くき、水道の蛇口を捻ると、水が出てくるように、どこをどうするのが良いかという、使い方を覚えてしまえば、水と同じようにエネルギーを流すことは誰でも出来る。

そうしたことを覚えたとしても、向き不向きは確かにあるだろう。
料理学校に行っても、人に振る舞うのが好きで、プロを目指す方もいれば、笑顔が嬉しいから作る人もいる。
恋人や家族にのみ振る舞いたい人もいれば、自分で食べるのが一番好きということもあるだろう。

エネルギーワークも全く同じ。
方法を覚えたとしても、自分がどのレベルなのか、手にして初めて知ることができるのかもしれない。

ただ、確実に手にできるのは確かだ。

エネルギーワークを覚えたいという、要望をいただき、伝え始めて、既に二人が卒業している。
たった1日、集中して、ただ感じて、心で感じて、思考ではなく、体感で覚えていただくことで、蓋が綺麗に外れ、出来るようになる。

毎日の生活に使うと、心地好さは増す。
使い続けることで、上手にもなる。
上手になれば、いざというときに、大切な方のサポートも出来るようになる。

効果があるからこそ、やってはいけないことも実はあるけれど、そうしたことも伝えています。
 
 
こうしたことを、手にしてみたいなと思うことは、自然な流れ。
 
スピリチュアルな特別な何かなどではなくて、ごく普通の自然なこと。
本当は誰もが、こうしたことが出来る下地があります。

 
何もできないから、これからは出来るに、切り替えてみたいなと思ったら、こちらを覗いてみてください。

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