白い紙は白いのに、白くないってどういうこと?

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「ねえねえ」
「なあに」
「この紙は白いよね」
「うん白いよ」
 
白い紙があって、その紙を、誰が見ても白いと思うときに、それはきっと白い紙です。
 
あ、今、そんなの当たり前だろうって、心の中の突っ込みをいただいた気がします。
 
でも、本当でしょうか?
 
 
 
 
どういうわけか、縁があって、先ほどの二人のところに、紙の専門店の人が、今日やってきました。
 
小さな車に、詰め込まれた、二つの大きなトランク。
寅さんが持っているような、四角い大きなトランクにサンプル紙をたっぷりと入れて。
 
そして、二人の目の前の大きなテーブルに、トランクに入っているサンプル紙を全部取り出して見せてくれたのです。
 
白色にも幅があって、これ以上ないような純白の紙から、穏やかな白まであると教わったのです。
 
純白の紙を見せて触らせてもらい、穏やかな白い紙も同じように見ていき、その間にある、たくさんの紙も見せてもらいました。
すると、とても美味しい焼肉を食べて、味や香りを覚えてしまったときのように、目が、指が紙の色の違いや質感を自然と覚えていきました。
 
最後に、純白を頭にして、サンプルの白い紙を横一線に並べ直しててくれました。
 
色の幅があるのがこうするとよくわかります。
 
そして、最初の紙は、純白ではなくて、穏やかな白のほうに、やや進んだ、この辺の色なんですよと教わりました。
 
目の肥えた二人は、きっとそうだろうなと一緒に思いながら、もともとあった白い紙を取り出して、サンプルの紙と比べてみました。
 
色の違いを、以前よりもしっかりと認識できるようになっているので、この辺りだと二人も思ったところが、まさにその通りで、やっぱりそうなんだと思いました。
  
白にも幅があり、質感の違いも沢山あることを学んだ二人。
色を解析する力が上がった分、日々の生活に役立つでしょうから、これはとても良いことです。
 
こうして、誰もがなるほどというものであれば、自ら進んで得たものでも、誰かに与えてもらったものでも、正しいものであれば、何も問題ありません。
 
全員がそうだなと、自然に納得できるものは事実です。
 
でも、もし新たな知識について「それは、そういうものだ」と言われてしまったらどうなるでしょうか。
 
「比較や判断」をすることができず、それを無意識に受け入れてしまったら、一体どうなるでしょうか。
 
きっと今、頭の中でほんの一瞬ですが「そんなことは、そうそうないよ」と思いましたよね。
 
でも、見聞きしたものが、
 
「有名なものだから」
「信じている人が言っているから」
「聞いたことがあるから」
 
そうした意識が少しでもあると、それが精神的なフィルターとして機能して、それ以降は、なにも疑うことなく、まるで、盲信するかのように、受け入れてしまうことに繋がっていきます。
 
誰もが納得できる良いものであれば、それはそれでも、素晴らしいことだと思います。
 

ここで大切なことは、一つだけ。

 
それは「本当に本当なのかな」この一点です。
 
何かを学ぶ際に、知識を入れる際に「本当にそうか」という確認ができず、まだよく分からないものを、とても有難く思って、素直に信じてしまうことは、盲信に繋がります。
 
 
盲信って、どうですか。
その状態はできるだけ避けた方がいいかもしれないという感じがしてきませんか?
 
 
だから、初めてのことは、これって本当かなと、確認してみてください。
 
どんなに細かな数値が、さもそれらしく載っていても、それって本当かな?
 
どんなに、気持ち良さそうな言葉が溢れていても、それって本当に本当かな?
 
 
どんなに、立派なことが書かれていても、それって本当かな?
 
どんなに、立派な先生が言っていても、それって本当かな?
 
 
そうして確認してからだったら、とっても安心して身につけられるようになります。
 
ネット上にある情報は、どんどん流れていきます。
テレビだって同じように、新しいものがどんどんやってきます。
流行りの言葉や物と同じように、盛り上がってはまた減っていきます。
楽しいだけなら、ただただ楽しめばいいのですが、そこから知識として手に入れるならば、情報のソース(原典)がどこにあるか、また誰がどういう意図で出しているかは、しっかり見ておきたいところです。
 
だから、初めてのことは、これって本当かなと、確認してみてください。
そこまでして、これはいいとなったとき、その知識はきっと素晴らしく役に立つと思うのです。
 
冒頭の二人は今日学んだことで、これから頭で思った通りの白い紙を選んで手に入れられるようになりました。

 
知識は、人生の自由度を大きく上げてくれます。
知識として身につけたことは使いつづけると、思考の一部になります。
思考は強化すると信念になります。
信念は体と強く繋がっています。
良い思考や信念は体を緩めて、本当の力が出せるようになります。
良い思考や信念を身にまとい、変に利用されることなく、毎日を健やかに生きていくための、小さなヒントの一つでした。