知らないからこそ幸せだったということもあるけれど・・・・・・

知らぬが仏という言葉があります。

確かに、知らなかったら ムカついたり イラついたりはしないですよね。

知らないから。

 

 

これは、ちょっと前のことになるのですが、

” 僕は生まれてこのかた、肩凝りというものをしたことがないんです”

と 仰る方と出会いました。

 

敏感な方なら姿をみるだけで、どの辺がどう悪いかは、きっとわかると思います。

 

ぱっと見る限り、結構あちこち凝っている。

そんな感じでした。
でも、 気がついていない。

故に、凝っていない。 となっているのがわかります。

 

ご本人の中では、

凝っていないと思っている = 凝ったことがないと信じている = 自分は大丈夫 = 自身がある

と、意識が連鎖した状態でした。

 

 

でも、本当は凝っている。

知らないだけ。

 

 

ゆっくり凝っていったから、便意が少し我慢できたときと同じで、鈍くなっている状態。

 

感度が鈍くなる > もっと感度が鈍くなる > 鈍感状態

 

でも、本当は小さな辛いが  散り積もった 状態。

感覚制御フィルターがそれを覆い隠している。

 

そんなことが本当にあるの? そう思うかもしれませんが、匂いはそうですよね。

どんな良い匂いであっても、嫌な匂いであっても、同じ匂いを嗅ぎつづけていると、わからなくなります。
体は、同じ刺激が長く続くと、それ以外の匂いに気がつけるようにと、特定の部分に関して鈍感な状態を作り出してくれるのです。

小さな痛みは、刺激が小さいので、それに近いことが自然と起きてしまうんです。

 

本当は痛いのに。

 

 

で、冒頭の 肩凝りをしたことがないという方の、肩にそっと触れて、筋肉に緩んでもらいました。

 

もういいよ、そこまで頑張らなくていいよ、一度緩んであげて と。

 

 

人の意識は存外強く、自然に存在する力強いエネルギーを有効に使いながら、そうした働きかけをすると、伝えた信号の通りに動いてくれます。

筋肉はただ信号の通りに動きます。
信号のレベルが強い方に合わせてくれるんです。

 

緩んだ方が、頑張り続けるより、ずっと楽だよ。
一気にみんなで緩めば、辛くないから、一度なってみようよ。

そう伝えると、大抵の場合、ふっと緩んでくれます。

 

彼の筋肉も、ちょっと信じられないと、最初はほんの少し抵抗しましたが、提案を受け入れて緩んでくれました。

 

そっと触れていた手を外し、

緩みましたよ

そう伝えたら、肩をぐるぐる回したり、手を当てて、確認しています。

 

そして、少し俯き加減になりながら、目を閉じて、しばらくの間 沈黙

 

・・・・・・

 

そうして、一言。

 

僕は凝っていたんですね

と。

 

凝りを初めて理解した瞬間でした。

 

知らない方が幸せなこともある。
もしかしたら、凝っていないと信じていた世界の方が、ずっと幸せだったのかもしれません。

 

でも、凝りに気がつけば、これが凝りなんだ! と気がつきさえすれば、自分で注意ができます。

 

そうか、ここまですると、体が辛いんだ。

それを感じられることで、調整が利くようになるでしょう。

 

一病息災は己の限界を理解することで、無理をしないでいるから成り立つ世界。

でも、どうせなら無病息災が一番いいですよね。

 

早めに気がつけば、早め早めの対処ができる。

つまり、気がつくことさえできれば、それが可能な世界の入り口に立ったとも言えるんです。

 

知らないでいる世界から、知ってしまった世界を、肩凝りの彼には体験してもらいましたが、あなただったら、一体どちらが好ましいでしょうか。

 

もし、今、ずっと長く続く小さな不調があれば、ぜひ、今どんな感じなのかなと、自分の体の中を探ってみてください。