大切な方への手紙や、メールなどで文章の末尾に、たぶん何度も書いたことがあるであろう「御自愛ください」という言葉。
この「御自愛」(以下 ご自愛)ですが、意味を理解していても、実際にどうするのかとなると、「 はて?」 と考えてしまう方も多いのではないでしょうか?
きっと私だけではないと思うのですが、私は、ずっとそうでした。
正直 よくわかっていなかったのです。
気をつけるのはわかる。
大切にするのもわかる。
では 一体どうやって? で 妙に引っかかってしまったのです。
何をもって、そうするのが一番効率良く有効に働いてくれるのだろう。
持ち前の 探究心が動いてしまい、何をどうやって? どうやるといいの? が気になって気になって仕方がありませんでした。
そこで、ずっと気にし続けながら、体との関係性を試しては確認し、どうなるかを ずっと見張り、観察を続けていると、あることに気がついたのです。
それは、とてもシンプルなものでした。
私という自分がいて、自分の体を小さな単位に細分化していくと、細胞になります。
細胞が元気でいてくれたら、そして、心地よく働いてくれていたら、きっと良い感じになるだろうなと誰もが思えるように、細胞とのやりとりが大切なんだろうなと、私の感覚でなんとなくわかってきたのです。
では、どうしたら、そんな心地良い環境になるのでしょうか?
大切なのは、体験。
これで変われるんだという体験です。
どんなに思い描いても、体験が伴わなければ絵に描いた餅と同じ。
例えば、自転車も、ある程度の練習を重ねていくと、最初は補助輪がついていてもぎこちない危なっかしさから、次第にするすると動けるようになり、補助輪が必要がない時期がきます。
補助輪や人の手のサポートが、ついには逆に邪魔になり、不要になる。
そうやって何時でも乗れるようになれたと思うのです。
想像しているだけではなくて、体験によって、こうなると、こうなっちゃうんだということを体で学んでいくからこそ、次第に上達します。
ご自愛も、これに近い感じが少しあります。
頭で思い考えて、ご自愛とは、きっとこんな感じだと想像しながら、疑心暗鬼のエッセンスを手にしたままで試していると、効果がとても薄かったりします。
それで 全然出来ないわけではないし、多分、内容に そう大きな相違はないと思うのですが、効果効能という部分で、反応がとても控えめです。
そして習得度合い自体も低いままだと、効果が低いから、時々気が向いたときや、ふと思い出した時にくらいにしか使わなくなるでしょう。
どんなことも何度もすれば上手になりますが、時々ではなりません。
なので、ご自愛の効果が、そう大きなものには、なかなか ならないと思うのです。
でも、
ご自愛の本当の効果を知った今となっては、これ、ちょっとどころか、大変 勿体ないんです。
だって、性能の低い、いわば乗り難い、整備があまり出来ていない自転車に乗っただけで、自転車なんてこんなものか、といって終わりにしてしまうようなもの。
自転車だって、小さな車輪や大きな車輪、荷物運搬用から高速性能に長けたものまで、色々な種類のものがあるし、整備の仕方次第で能力の出方も違うのに、そんなことを何も知らないでもう終わりといっているのに等しいような、そんな感じに思えてしまうんです。
本当は荷物をたっぷり積んでもビクともしないものかもしれないし、高速性能が高い競技自転車のような能力があるものかもしれないのに、全然使わないで、いいよ歩くから、となったら、かなり勿体ないと思いませんか? 使えば使えるのに、使わないを選択。
細胞との受け答えが上手になれば、そうした力を引き出せる可能性があるのに、知りもせずに、使いもせずに、これはダメだなと使わないなんて、勿体なさすぎると思うのです。
とはいえ、これは、私の主観であって、要らないよ という選択肢を選ぶ自由もあります。
でも、知ってから、使わないを選ぶのと、知らずに使わないのを選ぶのだと、私は使えるようになってから、使わないを選んでもいいような気がしてなりません。
今日という時間は、刻々と通り抜け、時間は巻き戻しができないもの。
だからこそ、どちらも理解した上で、好きな方を選択するのが良いと思うのです。
10年後に、あのときにそれを知っていたらと、誰かが元気なのをみて、後でそのことを知って、もっと前にと悔しがるようなことがあるよりも、とにかく、今、現時点で、そういうことがあるのを知ってもらうだけでも、違ってくるような気がしています。
だから、こうして、少し しつこく書いているのです。
年齢を重ねてみると、実感としてわかってくるのですが、30歳を超えたくらいから、少しずつですが、身体の自由度や回復度合いはかなり穏やかになってきます。
だからこそ、できるだけ若いうちにこの事実を知って、上手に使えるようになっておくことこそが、快適な未来を作り出してくれることだ。
そう体感で理解してしまったので、お伝えしています。
実際に、ここ最近の施術において、体の細胞への声のかけ方をお伝えし、体の変化が生まれることを味わってもらっています。
最初は正直いって 「?」 です。
でも、ちょっとすると変化を感じます。
それではと、別の部位で、同様に語りかけてもらうと「 !!!」「緩んだ」となり、「変わった」をしっかりと体感します。
細胞に語りかける際に、細胞と自分という意識との関係性を、たとえ話で伝えます。
また、細胞は自分と全く同じキャラクターであることも伝えます。
どうしたら、細胞が喜んでくれて、どうしたら拗ねてしまうか、どんな言葉が効くかは人によって違いますが、何度も何度も、言葉を添えてそうしたことを伝えていきます。
変化を味わうごとに、頭で考えるのではなく、体感を通していきます。
次第に腑に落ち始め、何度も繰り返すことで、息をしたら苦しくないというのと同じように、自分の中で、新しい常識になります。
すると、自分の体との対話の仕方が、しっかりと身につき、完全に会得した状態に。
残りの 不調箇所を紐解くのに私の施術とともに、ご本人がご本人の体の細胞に語りかけながら変化を感じていきます。
すると、どこがどれほど、これまで頑張ってくれていたかを、自然と理解していくのです。
この理解は日々のメンテナンスにとても役立ちます。
体の使い方について、体からのメッセージがあれば、対策方法もお伝えします。
代替動作をあとで覚えてもらうこともあります。
さて、どうでしょう。
施術の前と後で、どれほどのものが手に入っているのでしょうか。
体感での体得した、ご自愛の方法の会得。
体感で新しい常識を手にすること。
これに勝るものは今のところ見つかっていません。
でも、根本は、ご自愛が大切だという その事実。
施術を受けて体感での変化を感じるのが、個人的にはおすすめですが、まずは ご自身の方法で構いませんので、ご自愛ってなんとなく凄い、そう思って、今一度 考えたり、実行してみて、変化が生まれるか観察してみてください。
もしかしたら、もっといい方法が見つかるかもしれません。
もし、そうなったら、文字だけでもいいので、どこかでシェアしてみてくださいね。
10年後、20年後
大切な方や 大切なお友達と みんなで元気に楽しく過ごせていたらいいですよね。
私ももっと早くに、このことに気がつけていたらと思いましたが、遅くても気がついて良かったなと本気で思っているので、今後はこのことを中心にお伝えしていこうと思っています。