年末で忙しさもピークかもしれませんね。
最近あまり目にしませんが ”PPK” = ”ピンピンコロリ” という言葉を、ちょっと前まで、よく目や耳にしていたのですが、ご存知でしょうか?
これは、人生の最期のそのときまで、元気でいて、コロリと大往生ができたら、どんなにいいだろうねえ。 そうありたいねえ。 という、願いや、思いを伝えるものでした。
ここには、「綺麗に旅立ちたい」のその前に、「いつまでも元気がいいよね」という願望が強く生きています。
他にも、意味が近しいものだと ”一病息災” もありました。
こちらには「息災」が入っています。
息災とは、何事もなく達者であること、つまり健康であることを意味するものです。
どちらも、元気でいたいという、願望が生きています。
どうせならば、年齢に関係なく、そうありたいですよね。
そこで、注目したいのは、どうやって、そうあるかです。
一体どうしたら、そうなれるのでしょうか。
よく目を凝らして見ると、一病息災には、息災の前に、一病とついています。
これが、とっても大きな ヒント だと思うのです。
本来ならば、無病で息災が一番いいはずなのに、何故、無病息災よりも、一病息災という言葉が強く生き残っているのでしょうか?
こうあったらいいな・・・・・・
ピンピンコロリは そこにある言葉です。
無病息災も同じような位置にある言葉です。
そう、願望ですね。
でも、一病息災は、過程と結果で、実体験に基づいたものだと思えませんか?
よくよく「観察」して、生まれた言葉のように私には感じられました。
では、一病なのに、息災とは、一体どういうことなのでしょうか?
そう、
病を得たからこそ、己の限界を知り、体に対して常に気を配ることができている状態。
きっと、同じようなことを、知識として教わったり、自ら学んでいる方も多いことと思います。
でも、この知識を手にして、生活が何か変わったでしょうか?
知識は知識。
学びは学び。
そこで終えてしまうと、絵に描いた餅のようなもの。
どんなに素晴らしい知識で、実際に使えるものであっても、なんか勿体無いですよね。
なので、日々の暮らしを、毎日の活動を、少しでいいので見返してみてください。
ちょっとした無理を、自分の意思で貫いてしまい、負担をかけすぎてたりしていませんか?
あと少しだからと、もう少し頑張ると、頑張るのはいいとして、その後で、どうしていますか?
いつもよりも負荷がかかったあとで、体へ、なんらかの事後対応(ケアやフォロー)をしていますか?
何もせずに「ようやっと終わった、よかった」
それだけで、いつも終わりにしていたら、負荷が小さかったり、蓄積が少ないうちは、自然に戻る事ができると思いますが、一体いま、負担の値が「ゼロ」と「限界」の、どの辺りなのでしょうか。
負荷が毎日のようにかかると、負荷に対しての感覚が次第に鈍くなってきます。
カレーの美味しい匂いや、うなぎや、お煎餅が焼けるような、いい匂いも、ずっと嗅いでいると、最初に嗅いだときよりも、次第に穏やかに感じられるように、だんだん、わからなくなってくるのです。
食事なら食べて終わりますが、毎日の負荷が、毎日自然に「戻る範囲」、「戻れる範囲」を超えてしまうと、どうなるでしょうか。
そして、それは、一体どんな状態でしょうか。
そう、なにも気遣いをしていない状態。
「危険な位置」に入っているかもしれませんし、まだまだ「余裕」があるのかもしれません。
だけど、無病だからこそ、負担を常に与え続けている状態です。
若いうちは、回復力も高く、様々なものに対応ができるので、とても気付きにくいのですが、やはり限界はどこかにあります。
無病息災を願うならば、することはただ一つ。
一病息災の方と同じように、体に気遣う状態を日々作り出すだけです。
ここまでは、頑張れる。
ここまで、こうしたら、頑張れる。
でも、ここまですると、体はかなり辛いんだな。
そうやって、自分のことを知っていけばいいのです。
どこで判断するかも大切です。
そこで、朝の目覚めの具合で、体の状態を判断をしてみてください。
前夜、お風呂に入り、ご飯を食べて、ぐっすり寝て、とても気持ちいい朝が迎えられているか。
疲れなどの蓄積があるかどうか、どの程度かを、目覚めたときに、把握するのです。
そうして、ここまではいけるけど、ここからは駄目なんだと理解していくのです。
ちょっと時間がかかりますが、正確です。
こうしたときにも、人は「楽」が好きなので、何かあると頼りたくなります。
自分の限界を探るにしても、マニュアルや取扱説明書のようなものを求めたくなるでしょうが、どこかにある、既存のマニュアルは、最大公約数的なものか、開発者にぴったり合ったもの。
そう、どんなに有名なものであっても、どこまで頑張れるかについてだけは、どこにもマニュアルや取扱説明書はありません。
自分にぴったりあうのは、自分で確認したことだけです。
だからこそ、毎日の気付きと、自分の体の反応についての知識の蓄積は、長い時間を経て、無病息災へと連れて行ってくれます。
無病息災をしっかり手に入れられるのは、そうやって、続けた人だけ。
一病息災は、注意するのを忘れないからできていること。
完璧ではなくても、負荷が減れば、随分楽になる。
長い目で見れば、それだけでもかなり大きな違いですよね。
あ、そうそう、体に対して、常に気遣いをしていたら、体の変化にも早く気付けるようになります。
すると、お医者さんに行く必要があるときも、躊躇せずに、サクッと行けるようになります。
タイミングを外しにくくなるので、結果として、早く対処出来たりしますよ⭐︎
こうした、自分の体への気遣いは、なんか大変なんだろうなと、そう思っている方もいるかもしれません。
でも、実際にしてみるとわかるのですが、ご飯を食べるように、自然とできるようになります。
なにか特別なことと考える必要はなく、ごく普通のことだと捉えてみると、ああ、そうかと、すぐにできるようになります。
変わるには行動。
良かったら、今この時点から、初めてみてくださいね。
<関連情報>
「自分の体の状態を知るコツ」
一人でできる 体のチェック方法
今の自分の、体の状態を知りたいときには、こちらを読んでみてください
<追伸>
こうしたことは、ご自身で見つけるのが一番です。
でも、強く悩んでいたり、感度が少し落ちていたりして、見つけるのが難しいときも、人生の中ではあるかもしれません。
キノコ狩りとか、タケノコ掘り、潮干狩りのように、ここをという、見るべきポイントや行動がわかると、すぐに上手になります。
一人で大海原の中や、大草原から全くの頼りもなく何かを探すよりも、この辺にヒントがありそうですよ。 ここにもほら。 こう感じてみたらどうでしょう。 そんな風に、ちょっとだけ最初に教えてもらったら、そこにあるのにきっとすぐに気がつけますよね。
一人で頑張って、上手くできないからと、早々に全てを諦めて、何もしなくなるよりも、
もし、そうしたことが、今のあなたにとって、何よりも大切で、どうしても必要なときには、このサイトの上部にあるメニューから、必要なことを選ぶのもいいかもしれません。
ここでは、状態の回復や改善の「お手伝い」をしています。
その中にはこうして、貴重なヒントを沢山お伝えすることも勿論入っていますので、良かったら使ってみてくださいね。