私は、エンパスです。
エンパスというのは、相手の事を自分の事のように感じる「共感能力」が高い者のことを指し示すそうなのですが、日本人はこの力のある方の割合がとても多いそうですね。
さて、つい先日、街中であったことから、気がついたことがあったので、お伝えしますね。
私は、紙とゴム印が好きなので、電子ではなく役所に書類を出しにいったのですが、役所から駅までの帰り道の後半がずっと軽い上り坂になっていて、歩道がとても狭かったのです。
私は登り坂でも歩くのは遅くはない(どちらかというと少しだけ早いみたい)のですが、脇道から出てきて後ろを歩いている中年の男性(多分同い年位の方)が、「先に行きたい、あんた邪魔だよという気を吐き出しながら」ついてきます。
速度に目立つ差があり、真後ろならすぐに道を譲るのですが、譲るほどには間が詰まっていないので、気持ち歩を速めてみましたが、ずっとそのイライラが伝わってきます。
30M程登ったところで、少し歩道の幅が広くなりました。 駅の入り口はもうすぐです。
イライラをずっと感じるのが少々面倒になったので、譲るために横にずれてスピードを緩め、先に行ってもらったのですが、その方のイライラは一瞬減ったくらいで、相変わらずイライラしたままです。
もしも、急いでイライラしているなら、スピードは緩まなず、心の中で、「ああ、つっかえていたやつがいなくなった、よし急ぐぞ!」と、行動に表れて速くなるはずですよね。
でも、先になった途端にスピードが落ちて、私もかなり遅めに歩かされることになりました。
ここで、あれっと思い、この心理と行動はどこから来るのかなと不思議な気持ちになりました。
ここから先はエンパスの私が、その時に受けた感覚なので、あっているかどうかはわかりません。
でも、私にはこう感じられました。
ただ、目の前にある「もの」や「こと」だけがその方にはしっかり見えていて、常に自分の邪魔をするものという意識が、見え隠れしました。 邪魔な何かを排除することが常に最優先とされており、感じなくなった瞬間に、まだあるほかのイライラする何かに意識がうつり、それを排除し続けているんだろうなと。
だから休みなくイライラしていて、イライラが行動のエネルギー源になっているんだろうなと。
もし、このような、イライラがずっと続くと、体はどうなるでしょうか。
毎日、毎日、休みなく、常にイライラをしていると、一体どうなるでしょうか。
無意識に行っている、絶え間ない心の行動が、どのように影響を及ぼしているかと、改めて考えるとなかなかすごいものがありますよね。
もし、仮に、このような状態だったとしても、改善の方法が皆無なわけではありません。
そう、思考はある意味、癖的な部分があります。
その癖は条件を変えれば、変えることが出来ます。
繰り返すことで、新しい癖を手にいれることも可能です。
2週間で新しい癖は定着しますが、変化は簡単に作ることができます。
例えば、掃除する作業が苦手で、考えただけで面倒だと思っていると、「お掃除」なんて、とてもやる気がでませんが、終わった後の気持ち良さを目いっぱい楽しみたい、そこで楽しい生活をしたいし、すぐにそうなりたいと思うと、「掃除という作業自体」がそんなに苦ではなくなり、掃除自体が次第に嫌だと思わなくなるようになります。
同様に、思考の癖を視点や前提条件を変えることで、ゆっくりと変化させていくと、イライラし続ける輪から抜け出すことも可能です。
人が自ら動くには、何某かの原動力が必要ですが、イライラではない何かにしていきたいですよね。
たった60メートル程度の小さな経験でしたが、ふと、そんなことを思ったので、こちらでお伝えしてみました。
楽しい、毎日となり、心地好い日々が繰り返されるように祈っています!