「私はこれまで一度も肩凝りになったことがないんです」
さいとうさんは、とてもニッコリと、そう言った。
でも、さいとうさんの体は小さな悲鳴をあげていた。
口に出した言葉とは裏腹に、アルミホイルを両手で広げて、長く引き伸ばして、空中で振ったときに出るような、シャランというような乾いた音。 遠くから微かに聞こえるような、そんな音のような何か見えないものが、体から別の声として届いたのだった。
私は、初対面の人に、プライベートでお会いしたときなどに、ケーキの試食のように、小さな体験をプレゼントすることがある。
もちろん、相手がこちらの仕事に興味を示してくれた場合に限ってだ。
その時は、さいとうさんの頭では、自分にはそれが全く必要無いということを、大人の言葉として、そうして伝えてくれたのだと思う。
でも、もし全く興味がなければ「ああそうなんですね」と受けてから、全然別のことに話題をすっと変えらることが多いのだが、さいとうさんの内なる自分が、あえてそうしなかったのが、そのことで感じられた。
反証しながらも、自分に必要かもしれないということを、きっと、なんとなく理解していたのだろう。
そこで、さいとうさんと同じように感じない方も、楽になった人もいることだけをお伝えしたところ。
密かに聞こえる音のような何かの雰囲気が、湿度をまとった。
そして、さいとうさんの黒目が、ごくわずかに大きくなった。
「え、どういうことですか?」
体の声は、感情としても現れる。
いまのこの状態は辛くて嫌だと、感情で伝えてくれることが多いのだ。
でも、感覚がもともと鈍いのか、今は頑張らないとと、少しずつ我慢してしまい、感度を鈍くさせてしまったのか、自分の感情や感覚を鈍くしてしまうことがあると伝えた。
根が真面目だったり、几帳面だったり、潔癖症傾向があると、もともとの受信感度が高いからこそ、少しでも鈍くなってしまうと、その傾向が進みやすくなり、実際に凝っていても分からなくなることが良くあると伝えた。
また、楽になったときに、どれだけ快適かも合わせて伝えた。
子供の頃に、一日中遊びまわっても、翌朝けろっとして、元気で満ち溢れていたときと、今を比べてもらった。
肉体を意識しない、空気のような体だったその頃と、今の状態を比べてもらった。
そうしたら、もしかしたら固くなっているのかと気がついたのか、少し興味が出てきたのだろう。
体験してみること自体を避ける、頭で、意識で、反対しようとする力が消えてきた。
そこで、体験は、痛くないこと。
たったまま、この場でできること。
長くても数分で済むこと、しゃべりながらでもできること。
嫌ならすぐにやめられること。
営業は一切しないことを伝えた。
そうしたら、さいとうさんの肩の力が少し緩んできた。
ご本人もそれがわかったのだろう。
「では、ちょっとお願いしてもいいですか?」
そう声に出していただいたので、
「はい、では早速」
そう答えた途端に、さいとうさんの細胞がふわっと花が咲くように喜んだのがわかった。
細胞がそこにいる人と同じように、声をかけていく。
肩が辛そうだけど、どうしたの?
腰も結構辛そうだよね。
感じとった情報をもとに、声をかけて答えを待つ。
細胞が返事をする。
この部分が頑張っていたので、ここを緩めてほしい。
本人にも伝えてもらえたら嬉しい。
本人とはさいとうさんのことだ。
細胞は口がないので、私を経由して、伝えてほしいという依頼だ。
伝えてほしいのは、あの時、こんなことがあって、ここが頑張っていたこと。
気がついて欲しかったこと、大切にしてもらえたら嬉しいこと。
そんなことだ。
細胞は人と同じように、頑張っていることを認めてもらうと、嬉しくなる。
頑張ってよかったとも思う。
気がついてもらうと、もっと頑張ろうともしてくれる。
それを私は知っているので、細胞にたいして、ちゃんと伝えるよ と約束をした。
細胞はそれを聞くと安心し、体が緩む準備をしてくれた。
そこで、初めて私は、細胞に、地球を含む大きな自然界のエネルギーを存分に届けていった。
もう緩んでもいいいよと、緩むためのスイッチのような信号も同時に届けた。
細胞は、それに応え、ゆるゆると緊張を解いていく。
緊張が解けるに従い、凝り固まった筋繊維に潰されていた毛細血管の中に血が通いやすくなる。
体が温かくなっていくのがよく分かる。
服の上から、そっと触れたり。
空中で、手をかき混ぜたり、筋を引っ張ったり、見えないものを撫でたりするような動作を交えていく。
しばらくしたら、もう大丈夫と細胞から、小さな信号が届く。
本当に終わりにしても大丈夫?
と細胞に聞く。
細胞から、うん大丈夫だよ、と返事があったら、そこで終了。
あとは、さいとうさんに、どんなことがあって、どうなったかをお伝えする。
細胞が頑張っていたこと。
関連して他の部位も頑張っていたこと。
あのときから、今のこのときまでと、大まかな年月を合わせてお伝えしていく。
どうしてもらったら細胞が嬉しいかも伝えていく。
さいとうさんがそれを聞いてから、軽く肩を回して確認すると、自分のイメージ以上に回ることに、すぐに気がつかれる。
他の部位はどうかと、体を動かすと、確かに変わっていることに気がく。
そうしてから、しばらくじっと考えたのち
「私、本当は肩が凝っていたんですね、肩凝りなんてしていないと信じきっていました」
静かに噛みしめるように語る言葉をいただいた。
もともと持っていた鋭敏な感度が思っていたよりも、鈍っていたことが、頭ではなく、体で理解できるようになったからこそ、その言葉が無理なく声に出せるようになった。
細胞が教えてくれた、あのときについても、さいとうさんの中で記憶を遡り、体感でそうそう確かにと納得がいくと、体に対する意識がすっと変わってくるのが良くわかる。
それを側で見るのは、いつ見ても不思議だなと、私は思う。
体の感じ方、捉え方自体も、本来の感度や感覚に戻れば、そのあとは自分で注意できるようになる。
冒頭の一言があったときよりも、今は、眉間が緩み、黒目が大きくなり、肩の力が抜け、呼吸も楽になり、表情もどんどん明るくなってきている。
細胞も穏やかになっているし。
きっと、さいとうさんはもう大丈夫だろう。
自分の本当に気がついたから。
商売が下手だねって、私はよく言われる。
心配されることも多い。
体験の場合、日々の生活の細かなアドバイスまでは提供できないが、それでも、体が随分楽になるんだろうなと思うと、私は嬉しい。
何より、短時間とはいえ、細胞の悲鳴を側にいて、感じなくて済む。
一緒に居ても心地よい時間が、ゆったりと過ぎていくことがとても嬉しい。
年末年始の疲れや、もっと長くに渡った疲れがあれば、どうか心の声に耳を傾けてみてください。